<残像1945>復興伝える「やちむん」の登り窯 那覇・壺屋

2025/12/15 11:00 

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 1944年10月の米軍の空襲で焼け野原になった那覇。沖縄で日米の地上戦が終結した後の45年12月、復興に向けたのろしを上げたのは、那覇市壺屋(つぼや)にあった「やちむん」(沖縄の陶器)の登り窯だった。

 戦前、壺屋は半農半陶で人々が暮らすのどかな村だった。戦争による被害は比較的小さく、製陶に必要な窯や道具が残った。米軍の許可を得て、収容所にいた陶工ら103人が「帰郷」したのは11月10日。約1カ月後には食器などの製造を再開し、戦火で家財を失った人々の暮らしを助けた。

 46年に入ると、陶工の家族らも壺屋に戻った。米軍は居住区域や住民の帰還を制限したが、那覇市史には「許可なしにグングン増えた」「狭くてあふれるくらいだった」との証言が残る。かつての小さな集落には学校や行政庁舎、警察署も設置された。

 60年代以降、壺屋の登り窯は煙害が問題になって使われなくなり、ほとんどが壊された。現存する「南(ふぇー)ヌ窯」の周りには、今も陶器の破片が散在する。【喜屋武真之介】

毎日新聞

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