能登地震で家族失った高校生2人、ネパール支援 現地で語ったこと

2025/12/31 13:45 

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 2024年の能登半島地震で家族を亡くした石川県の高校生2人が今月、10年前の地震の爪痕が残るネパールを訪れ、支援活動を行った。深い悲しみを乗り越えようとする2人の行動は、ゆかりのある人々に希望の光を届けている。

 ネパールを訪れたのは、同県輪島市で母と祖母らが犠牲になった県立輪島高2年の林佑馬さん(17)と、同県能登町で弟を亡くした県立能登高2年の森泰一郎(たいちろう)さん(17)。「ちょんまげ」姿でサッカー日本代表を応援することで知られる角田寛和さん(63)=千葉県柏市=が支援ツアーを企画した。毎月のように支援に通う能登で2人に出会い、「喪失から一歩を踏み出した高校生だからこそ、ネパールの子供たちに勇気を届けられる」と誘った。

 2人は「家族の思い出の品を探し出してくれたボランティア」(林さん)、「家族を助け出してくれた近所の人たち」(森さん)にもらった縁や恩を、今度はネパールの人たちに送りたいと参加を決断。冬物衣料や食料品を買うため、金沢駅前や石川県珠洲市の仮設住宅で募金への協力を呼びかけるなど準備活動にも加わった。

 ネパールは、2015年4月に大地震が発生し、首都カトマンズや北西部の山岳地帯で建物倒壊や地滑りが起き、約9000人が犠牲になった。

 林さんと森さんらは12月6日から13日までネパールに滞在し、震源に近い村の孤児院や障がい者施設に物資を届けたり、子供らと一緒に音楽やダンスを楽しんだりした。

 また、カトマンズ近郊の日本語学校では、日本での就労を目指す20代前後の若者に、初めて被災体験も語った。

 林さんは地震の際、倒壊した家から妹(14)とはい出すことができたが、母と祖母が帰らぬ人となった。自身も頭部に大けがをし、救出に来た父克彦さん(48)と3人で何とか病院までたどり着き、麻酔もないまま縫合手術をした。「あなたたちも日本で被災する可能性がある」と真剣な表情で語りかけた林さん。「大きな地震の後は津波が来るかもしれません。備えが大切です」と訴えた。

 一方、森さんは能登町の自宅が倒壊し、中学1年だった弟が亡くなった。両親と小学生だった弟も大けがをした。森さんは「日本もネパールも、いつ地震が起きるか分からない。家族で話し合って備蓄物資を用意し、逃げる場所を決めておいて」とアドバイス。「母は机の下に潜って助かった。強い地震が来たら丈夫なところに隠れてください」と呼びかけた。

 2人は帰国後、輪島市であった報告会にも参加。友人や角田さんのボランティア仲間ら25人の前で「一人の力は小さくても力を合わせればできることがある。募金や物資提供に協力してくれた人に感謝したい」と語った。

 目標もできた。林さんは「能登にボランティアに来てくれる人たちの見返りを求めない行動に学びたい」。森さんは「能登町も少子高齢化が進んでいるが、ここの人が好きだという交流人口を増やしたい」と語った。

 会場からは「家族を亡くして大変だったことを間近に見てきた。私も困っている人のために頑張りたい」などの感想も。会場で見守っていた佑馬さんの父克彦さんは「佑馬たちは『支援を受けるだけでなく、今度は恩を送る側になりたい』と行動した。能登の人たちに希望や勇気を広げているならうれしい」と、頼もしそうに2人を見つめた。【中尾卓英】

毎日新聞

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