妻子失った能登地震から2年 看板に「復興中」と記す居酒屋店主の今

2025/12/31 17:27 

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 楠健二さん(57)は毎日のように家族の夢を見る。朝起きるのが遅くて、妻由香利さん(当時48歳)に怒られる夢だ。それは、一家のありふれた日常だった。

 だが、目が覚めると、そこに由香里さんはいない。「夢と現実が交錯するから朝は嫌なんだよ」。あの日から約2年がたった今も、むなしさが消えることはない。

 2024年元日、楠さんは切り盛りする石川県輪島市の居酒屋「わじまんま」の3階にある住居で、家族5人で過ごしていた。長女珠蘭(じゅら)さん(当時19歳)は成人式を控え、5日は20歳の誕生日。家族全員で祝い、酒を酌み交わすはずだった。

 しかし、突然の強烈な揺れで西隣の7階建てのビルが倒壊。由香利さんと珠蘭さんはがれきに挟まれた。

 頼みの救助は来ない。「待ってろ、今出してやるから」。楠さんは自力で助け出そうとしたが、がれきはびくともしなかった。2人は3日までに救助されたが、間に合わなかった。「今でも鮮明にあの時の状況を覚えている。生きていたのに助けてあげられなかったんだ」

 目の前で2人を亡くした後のことは断片的にしか覚えていない。罪悪感を抱えながら、めまぐるしい日々を、ただがむしゃらに生きた。

 ◇妻と出会った街で「復興中」

 地震後、次男(23)と次女(20)を連れ、義母がいる川崎市に身を寄せた。そこは、由香里さんと出会った街でもあった。24年6月に川崎のビルに居酒屋をオープンし、店先の看板に「復興中(営業中)」と書き込んだ。

 うれしいこともあった。25年3月、輪島の解体されたビルと店のがれきの中から店で使っていたのれんが見つかった。風雨にさらされ泥だらけだったが、自身が描いたアマダイやアワビなどの絵ははっきり残っていた。

 それは、9年前に店を開いた時、手に取ったパンフレットに載っていた海産物を見て、由香里さんが「のれんにしよう」と提案し、デザインした柄だった。「これだけは回収したかった」。汚れを落とし、川崎の店に飾った。

 最近、少しずつ心境も変わってきた。

 25年10月にあった次女の成人式の前撮り。次女は、珠蘭さんが成人式で着ることがかなわなかった紺色の振り袖をまとった。「きょうだいだからやっぱ似ているな」。次女の晴れ姿に珠蘭さんが重なり、涙が止まらなかった。

 次女は、珠蘭さんと同じ横浜市の看護学校に進学。姉が歩むはずだった道をたどっている。珠蘭さんのことを考えると、次女の成人式に出席するのはためらいがあった。「けど、やっぱ出なきゃだめじゃん。人間の死はあっという間。生きていることに感謝しなきゃ」

 ◇「いつの日か輪島に」

 店では輪島の海産物を仕入れ、客に能登の魅力を伝えるようにしている。一方で、能登を離れたことへの後ろめたさも感じている。「腹くくって移住したのに、地震があったから断念するのはどうかなって。女房だったら何て言うかな」

 由香里さんはいつも家族を第一に考えていた。自然豊かな環境で、障害のある次男が伸び伸びと暮らせるようにと、16年に由香里さんの故郷に近い輪島市に移り住んだ。「輪島にそろそろ戻ろう」。由香里さんが生きていたら、きっとそう言うだろう。

 「ずっと失ったものしか考えられなかったが、今あるものが何なのかを考えられるようになったかな」。いつの日か、次男と輪島に戻りたい。そして、再建した小さな店に思い出ののれんを掲げたいと思う。【島袋太輔】

毎日新聞

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