「当たり前は当たり前じゃない」 能登の中学生が東北の被災者と交流

2026/03/12 09:00 

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 遠く離れていても心でつながっている――。東日本大震災から15年となる11日、宮城県石巻市と石川県穴水町の二つの被災地がオンラインで結ばれ、能登の中学生が東北の被災者らと交流した。能登半島地震後に穴水町を訪れた宮城県の若者らとの交流が縁で実現。東日本大震災の年に生まれた中学生らは「これからの能登を私たちが支え、守り抜く。一緒に減災の輪を広げていこう」と呼びかけた。

 交流は、町立穴水中学校と石巻市門脇(かどのわき)地区の伝承交流施設「MEET門脇」を結んで行われた。穴水中では2025年11月に、防災教育の一環として「奥能登語り継ぎプロジェクト」という課外活動が行われ、そこに石巻市などで東日本大震災の語り部活動に携わる2人がアドバイザーとして参加していた。

 この日は、穴水中の被災した状況やその後の取り組みなどを紹介した後、3年生10人がプロジェクトで学んだことを一言ずつ発表。最後に中済莉央音(りおね)さん(15)が代表して、考え抜いたメッセージを伝えた。

 中済さんは地震で石川県輪島市の自宅が全壊。約1カ月間、家族5人で同県かほく市に2次避難し、転校も経験した。友人と一緒にいたいと単身地元に戻り、祖父母が暮らす仮設住宅から学校に通った。続けてきたテニスクラブで友人と再会し、「笑い合えた日々」が最も心に残っているという。

 地震直後、避難所でうどんの炊き出しがあり、初めて温かいご飯を食べられたこと。そして、大好きな家族と一緒にいられること。こうした2年間の経験から、「今を大切に生きることが震災から学んだ一番の教訓」と語り、最後に「ふるさとを愛し、思いやりを大切に共に歩んでいこう」と呼びかけた。

 石巻市門脇地区は震災時、津波と火災で壊滅的な被害を受け、多くの住民が亡くなった。この日は地区住民ら約30人が集まり、生徒らのメッセージに耳を傾けた。

 交流会の司会を務めたのは、アドバイザーとして生徒らと交流を深めた「3・11メモリアルネットワーク」の職員、阿部任さん(31)と、宮城教育大4年、高橋輝良々さん(22)。津波にのまれ、9日後に祖母と共にがれきの中から救助された経験を持つ阿部さんは「中学生たちが語り部活動をしている姿に励まされた。共に減災の輪を広げていきたい」と生徒らの堂々とした様子に目を細めた。

 当時、小学1年生で、親友だった同級生を津波で亡くし、今春から小学校教諭になる高橋さんも「次の命を守りたいと行動する姿に涙が出た。特別な場所になった奥能登に、小学校の教え子を連れて行き、希望のバトンをつなぎたい」と再会を誓った。

 大役を果たした中済さんは「周りの人が応援してくれていることを知ったので、これからは支える人になりたい」と語った。

 また、交流会には穴水町で半世紀あまりテニスクラブで小中学生を指導してきた同町の元中学校教諭、滝井元之さん(81)が登場。支援のため宮城県を訪れた滝井さんは「被災地へ繰り返し訪問活動をするのは、『支えられる側から支える側に』という思いから。(能登半島地震で被災した)教え子の皆さんと災害の教訓や備えの大切さを伝える側になって、共に活動することが残りの人生の目標になった」と述べ、13日に卒業する生徒らへ感謝の思いとエールを伝えた。【中尾卓英、衛藤達生】

 ◇「穴水中学校から石巻へのメッセージ」(全文)

 私たちは2011年、東日本大震災が起こった年に生まれました。当時は0歳で、その時の記憶は全くありません。学校で東日本大震災の話を聞いても、「そんなに大きな地震があったのか、大変だな」と、どこか遠い国の出来事のように感じていたのが正直なところです。

 しかし、2024年1月1日。私たちのふるさと、能登を大きな地震が襲いました。あの日を境に、私たちの当たり前だった日常は一変しました。復旧・復興が進んでいる今でも「本当に元に戻れるのだろうか」と、不安になることがあります。でも、そんな私たちを救ってくれるのは、全国から届いているたくさんの温かい思いです。

 皆さんが15年前に経験した苦しみや、そこから立ち上がってきた強さを、私たちは今、本当の意味で「自分事(じぶんごと)」として実感しています。もっと早く備えていれば、もっと自分事として考えていればと、今でも時々思います。

 だからこそ、私たちは伝えたいです。「当たり前は、当たり前じゃない」ということを。

 温かいご飯を食べられること。友達と学校で笑い合えること。大好きな家族がいること。そのひとつ一つが、どれほど奇跡のような幸せかを知りました。この「今」を大切に生きることが、私たちが震災から学んだ一番の教訓です。

 私たちは、今までたくさんの人に支えられてきました。この返しきれない感謝の気持ちをどう伝えればいいか考え、一つの答えにたどり着きました。

 それは、「これからの能登を、私たちが支え、守り抜いていくこと」です。

 そして、もしまたどこかで震災が起きてしまったら。その時は、私たちが真っ先に支えに行きます。皆さんが私たちを助けてくださったように、今度は私たちが、誰かの力になりたい。

 石巻の皆さん。

 能登と石巻は、遠く離れていますが、陸で、空で、そして心でつながっています。震災を通してできたこのつながりをほかの地域にも伝え、一緒に減災の輪、思いやりの輪を広げていきたいです。

 支えられてきた立場から、支える立場へ。

 これからも自分たちが住むふるさとを愛し、思いやりを大切に、共に歩んでいきましょう。

 穴水中学校3年「奥能登語り継ぎプロジェクト」代表、中済莉央音(りおね)

毎日新聞

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