「諦めないプレーを」第21回大会優勝・北野のエースが観戦 センバツ

2025/03/21 19:36 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 大会第4日の21日、第21回大会(1949年)で初優勝した北野(大阪)のエースだった多湖隆司(たかし)さん(92)が、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場を訪れ、熱戦を見守った。「みんな体格がいいし、野球も上手だ」と球児たちのプレーに目を細めていた。

 当時の大会には16校が出場。北野は当時としては珍しく、投手は多湖さんともう一人との二枚看板で臨んだ。決勝は兵庫の芦屋との顔合わせに。大阪対兵庫の近畿対決は、延長十二回までもつれ込む熱戦となった。

 多湖さんがよく覚えているのが十回のプレー。北野は表に2点を勝ち越したものの、その裏に追い付かれ、さらに1死満塁のサヨナラのピンチに。続く打者の打球は左中間に飛び、三塁走者がタッチアップから本塁に向かった。

 しかし、捕球した左翼手が本塁ではなく、二塁に送球し、飛び出していた二塁走者を併殺に仕留めてピンチを切り抜けた。勝敗を分けるプレーに、当時マウンド上にいた多湖さんは「二塁審判がよく見てくれていた」と懐かしむ。最後は北野が十二回に2得点し、6―4で逃げ切った。

 大会があったのは終戦からまだ3年あまりの混乱期。「食料を持ち込んで甲子園球場に宿泊した。監督から『ライスカレーを食わせてやる』と言われて頑張った。応援も当時は太鼓だけだった」と振り返る。

 この日の観戦では時代の流れを感じたようで、「今のスタンド(の応援)はすごい。(高校生らしく)これからも最後まで諦めないプレーを続けてほしい」とエールを送っていた。

 多湖さんは慶応大へ進み東京六大学野球で活躍。社会人の全鐘紡でもプレーし、審判や日本高校野球連盟理事、選抜大会選考委員も務めた。【中田博維】 

毎日新聞

スポーツ

スポーツ一覧>