半世紀過ぎても人々苦しめる戦禍 ベトナム戦争考える写真展 京都

2025/04/16 07:15 

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 太平洋戦争終結から80年の節目を迎えるのを前に、4月30日で戦後50年となる大きな戦争があった。米国の関与で泥沼化し300万人超の死者を出したとされ、日本の社会も大きく影響されたベトナム戦争だ。「半世紀が過ぎた今でも、生々しい傷痕を抱えながら生きている人たちがいる」。終結後も人々を苦しめる戦禍を見つめ、考える写真展が、京都市北区の立命館大国際平和ミュージアム中野記念ホールで開かれている。

 京都市左京区在住のフォトジャーナリスト、村山康文さん(56)の写真展「ベトナム戦争の傷痕――戦争終結から50年」。村山さんは立命館大在学中、ベトナム戦争の従軍取材で知られる報道写真家・石川文洋さんと出会い、1998年に一緒にベトナムを初訪問。以来、現地での「戦後取材」を重ね、渡航は58回を数える。今回は村山さんが2000~24年に撮影した約80点と、ミュージアム所蔵品など約20点の関連資料を展示している。

 拷問で目をえぐられ、腕を切り落とされた男性。ミサイル攻撃で両脚の膝下を失った男性。特産のゴムの木が植えられた旧地雷原で左足を失った女性。米軍と共に戦い、その米軍が仕掛けたとみられる地雷で左手を失った南ベトナム側の元兵士もいる。「夫はベトナム人の手で殺された」と涙する女性……。戦時中だけでなく戦後にも、大切な存在を奪われた人たちの姿と証言が来場者に問いかける。

 村山さんは米国に次ぐ大量派兵をした韓国軍の足跡も取材し、22年に著書「韓国軍はベトナムで何をしたか」(小学館)を出版した。今回の写真展でも、韓国軍による民間人虐殺の生存者、韓国軍施設内で強姦(ごうかん)された女性とその被害で生まれた息子、結婚し子を授かりながら韓国に帰った男性を待ち続ける女性らの姿と言葉を伝える。韓国と米国で戦争を振り返るそれぞれの元兵士たちもいる。

 鮮烈に訴えかけるのが、枯れ葉剤の影響とみられる障害を持って生まれた人たちの写真だ。枯れ葉剤を浴びた父親本人に影響は見られなかったものの、顔の右半分が大きく垂れ下がった女性(その後に村山さんらが設立した支援団体の協力で京都大病院で手術に成功)。枯れ葉剤が原因とされる「結合双生児」として生まれたベトさん・ドクさん。流産、死産の奇形の胎児のホルマリン漬け標本や、被害を発信する取り組みの写真もある。

 14日に見学した立命館大国際関係学部2年の斎藤天花(てんか)さんと竹中優音(ゆのん)さんは「枯れ葉剤が子や孫まで苦しめ、影響が現在も続いていることを知って衝撃を受けた」と話した。

 「一度起こしてしまった戦争は、いつまでも終わらない」と村山さんは語る。ベトナムでの戦争が人々の身体と心に癒えない傷痕を残し続けていることを痛感してきた。「ウクライナやパレスチナなどで戦争が続く今、世界を見つめ直し、平和を築くための想像力の一助になれば」と願う。

 写真展は6月21日まで、午前9時半~午後4時半(入場は午後4時まで)、休館日は日曜と祝日の翌日(日曜が祝日の場合は開館し、翌日休館)。常設展示入館料を含む参観料は大人400円、中高生300円、小学生200円。4月19日と5月24日の午後2時から村山さんのギャラリートーク、6月14日午後2時から石川文洋さんの特別トーク企画がある。問い合わせは写真展実行委に電子メール(yasumu43@hotmail.com)で。ミュージアムは電話(075・465・8151)。【太田裕之】

 ◇ベトナム戦争

 ベトナム戦争は米ソ冷戦下、南北に分断されていたベトナムで1960年、米国の支援する南ベトナムに対し、親ソ連だった北ベトナムの支援する南ベトナム解放民族戦線が武装闘争を本格化させて始まった。米国は「アジアの共産化阻止」を掲げて65年から本格参戦し、爆撃と地上戦を展開した。

 米軍は直接的な住民虐殺の他、北ベトナム軍側の隠れ場所や食料を奪うため62年から約10年間にわたり森林に約7570万リットルもの枯れ葉剤を散布し、国内外から批判された。米軍は最多時で約55万人を派兵して約5万8000人が戦死。国内で反戦運動も広がって73年に撤退し、75年4月30日に北ベトナムの勝利で戦争は終結した。

 戦争には韓国軍も延べ30万人以上を派兵。日本も沖縄の米軍嘉手納基地が出撃拠点となり、反戦の市民グループ「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)が運動を展開した。

 ベトナム側の死者は南北で民間人も含め約300万人にのぼるとされる。枯れ葉剤には有毒のダイオキシン類が含まれ、戦後も住民や兵士、次世代に中枢神経や骨格、循環器官への健康被害を及ぼしている。

毎日新聞

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