ローマ教皇死去 カトリック史上初の南米出身 核廃絶に注力訴え

2025/04/21 17:35 

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 世界約14億人のキリスト教カトリック信徒のトップであるフランシスコ・ローマ教皇=本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ=が21日、死去した。88歳。ローマ教皇庁が発表した。在位は2013~25年の約12年。カトリック史上初の中南米出身教皇で、弱者に寄り添う「貧者の教会」を掲げた。19年11月には、1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりに来日し、被爆地・長崎と広島を訪れて、核廃絶に向けたメッセージを世界に発信した。

 教皇庁によると、21日午前7時35分(日本時間21日午後2時35分)に死去した。2月中旬から肺炎などで入院していたが、3月に退院。4月20日にはサンピエトロ大聖堂での式典に参加し、バルコニーから大聖堂前の広場に集まった信者らの前に姿を見せていた。教皇庁は「彼は、最も貧しく、疎外された人々を助けることを特に重視し、忠実さ、勇気、普遍的な愛を大事にして生きるように教えてくれた」と悼んだ。

 36年12月17日、南米アルゼンチン・ブエノスアイレスのイタリア系移民の家庭に生まれた。2013年3月、高齢による体力の衰えを理由とする前教皇ベネディクト16世の生前退位(同年2月)に伴い、コンクラーベ(教皇選挙会議)で第266代教皇に選出された。欧州域外からの教皇誕生は第90代教皇のシリア人グレゴリウス3世(在位731~41年)以来、1272年ぶりで、欧州中心主義だったカトリック教会の「脱欧州」の潮流を体現した。

 就任以来、教会を「野戦病院」と位置づけ、戦争被害者や難民に救いの手を差し伸べる「貧者の教会」路線を前面に打ち出した。生命や家族の価値観を巡っては教義の押しつけを戒め、同性愛者や離婚した信徒の苦悩に理解を示し、教義の厳格適用を求める一部の保守派聖職者らの反発を招いた。

 19年11月の来日では被爆者から体験を聞き取り、各国の指導者に核廃絶の取り組みに注力するよう訴えた。原爆ドームのある広島市の平和記念公園での演説では、「核兵器を保有することは倫理に反する」と訴え、核抑止力論を否定した。日本にキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルらが創設した修道会イエズス会の出身で、若い頃には日本での布教に憧れを抱いたこともあった。

 対外的には米国とキューバの関係改善を仲介し、15年7月の国交回復に道を開いた。シリア内戦では米国などによるアサド政権への軍事攻撃に反対する一方、過激派組織「イスラム国」(IS)からのキリスト教徒保護を国際社会に要請するなど「信徒の安全優先」を掲げたバチカン(ローマ教皇庁)外交を繰り広げた。15年6月には、気候変動や生態系の破壊が「深刻な結果を招きかねない」と警鐘を鳴らす信者向けの公式文書「回勅」を発表。同年12月の気候変動対策の国際枠組み「パリ協定」の採択を後押しした。

 バチカンが51年以来、断交していた中国との関係改善にも努めた。中国政府の公認教会と地下教会が分裂状態にあった中国のカトリック教会の統一を目指し18年9月、中国政府との間で司教の任命方法で歴史的な和解を果たした。

 飾らない人柄で一般信徒からは絶大な人気を博したが、聖職者には厳しい態度で臨んだ。宗教事業協会(バチカン銀行)の資金洗浄(マネーロンダリング)疑惑や、聖職者による児童への性的虐待などベネディクト16世時代にスキャンダルが表面化したバチカンの改革を断行した。

毎日新聞

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