80年前、島に押し寄せた米軍 戦闘を継続、沖縄で何があったのか

2025/03/26 00:00 

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 80年前の1945年3月26日、米軍は沖縄本島の西に浮かぶ慶良間(けらま)諸島の島々に相次いで上陸し、日米両軍による地上戦が始まった。日本軍司令官の自決で組織的戦闘が終結したのは45年6月23日(22日の説も)。日本軍が沖縄で降伏文書に調印したのは45年9月7日だった。約3カ月に及んだ地上戦で、日米合わせて約20万人が死亡した。

 米軍が沖縄に上陸したのは、占領して日本本土に進攻する際の拠点とするためだった。慶良間諸島に続き、45年4月1日には沖縄本島中部の西海岸に上陸し、南北に分かれて進軍。本島中部での激戦を制し、5月中旬には日本軍の司令部があった首里(現・那覇市)に迫った。

 兵力や装備で劣る日本軍は既に主力の8割を失っていたが、45年5月22日、本島南部に撤退して戦闘を継続することを決定した。本土決戦までの時間を少しでも稼ぐためだった。本島南部に避難していた住民は米軍の猛攻撃にさらされて逃げ惑った。日本軍の南部撤退後、住民の死者数は大幅に増えた。

 沖縄戦では住民らが追い詰められて集団自決したほか、日本兵によって隠れていた壕(ごう)から追い出されたり、スパイ視されて殺害されたりすることもあった。死者20万人のうち住民の死者は9万4000人(推計)に上り、沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせて、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。【比嘉洋】

毎日新聞

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