「官舎で慟哭した」 “異色”の吉田統幕長が退任、最後に語ったこと

2025/08/02 10:45 

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 「『わが国』を主語に主体的、自律的に活動してほしい」。後輩たちにエールを残し、「制服組」(自衛官)トップの統合幕僚長、吉田圭秀氏(62)が退任した。

 歴代の統幕長では「異色」の東京大卒。2006年の創設以来、防衛大学校出身者が就くのが不文律とされたポストに、一般大出身者で初めて就任した。2年4カ月の在任中は、自衛隊の統合運用の強化や、同盟国・同志国との協力関係の構築に挑んだ。

 最後の登庁日となった1日午前。吉田氏は東京・市ケ谷の防衛省で、通い慣れた記者会見室に姿を現した。

 「最後の記者会見で言おうか迷ったことがある」

 報道陣に語り始めたのは、陸上自衛隊ヘリコプターの墜落事故だった。統幕長に着任して間もない23年4月、沖縄県の宮古島沖で発生し、搭乗員10人が死亡した。

 「告白するが、官舎に帰って慟哭(どうこく)した。そうしなければ気持ちを切り替えて、捜索や救難のオペレーションが続けられなかった」。交流のあった自衛官たちが行方不明のまま数日が過ぎ、救命が厳しくなった当時の心境を振り返った。

 そして「泰然自若でいたかったが未完だ。心残り」としつつ、「亡くなった彼らに認められる仕事ができているのか、常に問い続けてきた」と打ち明けた。

 1986年に陸上自衛隊に入隊した吉田氏。大学時代は工学部で都市工学を学んだが、就職を考える頃に安全保障に関する本を読み、「将来、極めて重要な分野になる」と直感したという。

 入隊後は北海道や熊本の部隊に勤務し、陸上総隊司令官などを歴任。外務省や国家安全保障局への出向も経験した。陸自トップの陸上幕僚長として、国家安全保障戦略など安保関連3文書の改定にも携わった。

 統幕長に就任したのは23年3月。米中対立やロシアのウクライナ侵攻など「国際情勢の大きな転換期」だった。7月29日に臨んだ最後の会見では、こう強調した。

 「米国と中国が激しく対立する中、例えば東南アジアの国々に、米中のどちらかを選べというのは最も選択肢に困る。インド太平洋地域でも欧州でも日本に対する期待値が上がっていると肌で感じる。我々が主体性を持って多層的なネットワークを構築していくことが求められている」

 統幕長として各国の参謀総長たちと交流を重ね、防衛協力・交流の礎となり「私にとっては生涯の宝となる絆や友情を結ぶことができた」とも語った。

 印象的な出来事の一つには、今年3月の「統合作戦司令部」創設を挙げた。陸海空の自衛隊を一元的に指揮・統制する新組織で、米軍との連携強化も狙いとされる。陸海空自を束ねる統合幕僚監部が06年に創設されて以来の大規模な組織改編に、定年を延長して尽力した。

 会見では、航空幕僚長の内倉浩昭空将(60)に後を託して「ほっとした」といい、こう訴えた。

 「わが国に対して戦争が起きないような環境に、一歩でも二歩でも近づける努力を、我々はバトンを渡しながら永久に続けていく。そこに尽きる」

 1日午後には防衛省で退任行事があり、吉田氏は庁舎前の広場で儀仗(ぎじょう)隊の栄誉礼を受けた。「背広組」(防衛省内局)トップの事務次官を退く増田和夫氏(61)と並んで花道を歩き、「制服組」と「背広組」が連携する重要性も印象づけた。

 最後に「本当に長い間、お世話になりました。日本の防衛を頼みます」と声を張り、防衛省を後にした。【松浦吉剛】

毎日新聞

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