「日本の衛生工学の父」バルトン 子孫ら、功績たたえ墓前でしのぶ

2025/09/09 15:47 

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 明治時代に来日して上下水道整備に尽力し、「日本の衛生工学の父」と言われる英国・スコットランドの技術者、ウィリアム・バルトン(1856~99年)の功績をたたえる「バルトン忌」が青山霊園(東京都港区)にあるバルトンの墓前で行われた。バルトンの子孫を含め約30人が参列。バルトン研究者らによる記念講演会も行われた。

 バルトンは87年、コレラ流行への対応に苦慮する明治政府の招きで来日。内務省衛生局の顧問技師となり、東京や松江などの水道整備を手がけた。

 96年、衛生局長だった後藤新平の要請を受け、前年に日本統治が始まったばかりの台湾に弟子の浜野弥四郎と赴き、水源を調査した。台湾水道計画の基礎を築いたことから「台湾水道の父」とも呼ばれる。台湾で風土病にかかったバルトンは99年、帰国直前に東京で43歳で急逝した。

 死後、台湾の水道事業は浜野が受け継ぎ、浜野に学んだ技師の八田与一は台湾南部でダム建設を主導した。

 バルトン忌は1992年から、バルトン研究者の稲場紀久雄さんらによるNPO法人「日本下水文化研究会」(現「日本水循環文化研究協会」=水循環協)が毎年開催。今年の墓参は命日の8月5日に行われ、参列者は墓に献花した。

 バルトンには日本人女性との間に生まれた娘の多満(たま)さんがいた。その子孫が各地で暮らし、墓の管理は、ひ孫の榊原明さん(78)=熊本市=が引き継いでいる。

 墓参には、明さんの息子の衛(えい)さん(47)=横浜市=と、明さんのいとこでバルトンのひ孫の政博さん(79)=岡山県=が初めて参列した。

 明さんによると、自身が赤子だったころの姿を多満さんが描いた油絵や、バルトンが残したと思われる英語の自然博物誌や地震の本もあったという。

 墓参には、台湾総統府顧問の謝長廷氏も参列した。謝氏は墓を囲む鉄柵が老朽化して倒れる危険性があった際は、修繕費を個人で寄付するなど関心を寄せてきた。水循環協は、その寄付金を基に「バルトン基金」を設立。バルトン顕彰活動などに充てている。

 墓前で衛さんは「この墓が日台の懸け橋となっていること、日台関係の発展のためにバルトン基金が設立されたことに深く感謝している」と述べた。

 墓参後の講演会で、謝氏は「バルトン先生は台湾の公衆衛生のために尽力し亡くなった。上下水道の設置で人々の幸福を願ったバルトン先生の精神を台湾の人々は継承し活用すべきだ。バルトンの思いを広め、『善の循環』を世界的なスケールにすることができれば、必ず世界平和の役に立つ」と語った。

 講演会では、八田の孫の八田修一さんや、松江市でのバルトンの事業を顕彰する「松江バルトン会」の岡崎秀紀さんらも登壇した。【鈴木玲子】

毎日新聞

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