日イランで「大量破壊兵器の廃絶主導を」 イラン外相の寄稿全文
米国による広島、長崎への原爆投下から80年を迎えるのを前に、イランのセイエド・アッバス・アラグチ外相(元駐日イラン大使)が毎日新聞に寄稿した。全文は以下の通り。
◇ ◇ ◇
原爆投下から80年となるのを前に、世界は人類史上最も暗い章の一つを振り返ろうとしている。1945年8月6日と9日は、核兵器の破壊力の恐怖を証明すると同時に、人類の良心に永遠の傷痕を刻んだ。30万人以上の命を奪い、世代を超えて続く苦難を生んだその惨禍は、あらゆる大量破壊兵器を拒絶すべき必然を今なお厳粛に語り続けている。
被爆者にとって、苦しみは原爆が落ちた瞬間で終わらなかった。恐怖は、がんやその他の放射線障害という形で数十年にわたり人々をさいなみ続けた。身体的にも精神的にも癒えることのない傷を負って生きてきた人々は、その惨劇を平和と軍縮を訴える不断の活動へと昇華させてきたのである。
こうした経緯を踏まえれば、6月にオランダ・ハーグで開かれた北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、トランプ米大統領が口にした言葉がなぜこれほどの憤激を呼んだのか理解できよう。トランプ氏は、平和的なイランの核施設に対する米国の違法な爆撃を、広島・長崎への原爆投下になぞらえたのである。この発言は、単なる歴史的過ちにとどまらず、今なお後遺症に苦しむ人々の尊厳への侮辱であった。
日本政府の対応は迅速かつ断固としていた。広島・長崎両市長、そしてノーベル平和賞受賞団体である日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、人道的悲劇を矮小(わいしょう)化する発言としてこれを非難した。岩屋毅外相は、広島・長崎の惨禍は決して繰り返されてはならないとの決意を強調した。原爆投下を比較の対象、さらには軍事的侵略の正当化に用いることは、危険極まりなく、許し難い冒とくである。
この憤りは、日本国外にも広がった。イランにおいても、この比較は痛みと怒りをもって受け止められた。大量破壊兵器の被害を自国の近代史に刻むイランにとって、広島・長崎の記憶はあまりに生々しく響く。
イラン・イラク戦争(80~88年)中の87年、イランのサルダシュト市は、イラク軍機から投下されたマスタードガスとサリンの化学兵器に襲われた。国際法で禁じられた兵器であり、被害者の多くは女性や子どもを含む民間人であった。その場で130人以上が命を落とし、数千人が永続的な障害を負った。
今なお約10万人のイラン人が化学兵器の後遺症に苦しんでいる。呼吸不全、重度の火傷、失明、慢性的な痛み、そして心的外傷後ストレス障害。彼らは「イランの被爆者」とも呼ぶべき存在であり、日本の大量破壊兵器被害者と鏡のように重なる。それにもかかわらず、彼らの苦しみは国際社会からほとんど顧みられてこなかった。国際法廷で正義がなされたこともなく、いかなる大国も責任を認めていない。
この沈黙は偶然ではない。米国の機密解除文書は、当時の米政府がイラクのフセイン政権に衛星情報を提供し、化学兵器使用を承知していたことを明らかにしている。さらに米国の外交官たちは、国連安全保障理事会においてイラクを非難から守るために奔走した。フセイン政権の兵器に使用された化学原料は、西ドイツ(当時)を含む西側諸国の企業から供給されていた。この犯罪への共犯関係は、西側の良心に刻まれた汚点だ。現在もまた、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区でのジェノサイドが黙殺され、あるいは隠蔽(いんぺい)されていることで、西側は「二重基準」の重圧に押し潰されつつある。
このように絡み合う苦難の遺産を前に、イランと日本の両国民は、特別で力強い道義的権威を共有している。大量破壊兵器の不可逆的な惨禍を、我々ほど深く理解する国はほとんどない。そして、我々は声を合わせて高らかに叫ばねばならない。「二度と繰り返してはならない」と。
今こそ新たな同盟を築くべき時である。それは軍事条約によるものではなく、道義の原則に基づくものである。日本とイランは、核・化学・生物を含むあらゆる大量破壊兵器の全面廃絶を目指す世界的運動を主導しなければならない。これは過去への正義のためだけではなく、未来を守るための誓いである。
日本の市民社会は長年、この闘いの最前線に立ってきた。トランプ氏の発言を受け、反核NGOや被爆者団体は迅速に行動を起こした。広島の被爆者団体などは声明を発表し、米国によるイラン核施設への一方的な軍事行動は核拡散防止条約(NPT)に違反し、世界的な軍縮努力を損なうものだと糾弾した。
イランからも同様の声が響いた。サルダシュトの生存者たちは、日本の被爆者への深い敬意と連帯の思いを語った。彼らは、言葉に尽くせぬ惨禍を生き延びる者の重荷、そしてその痛みを平和のための訴えへと昇華させる力を、誰よりも深く理解している。
両国は知っている。大量破壊兵器は、兵士と民間人、大人と子ども、現在と未来を区別しないことを。それは世代を毒し、文化、記憶、アイデンティティーを抹消する。残すのは勝利ではなく、灰である。
戦後80年を迎える今、広島と長崎を過去の抽象的な象徴にしてはならない。それは現在への警鐘であり、死者と生者が共に発する嘆願である。二重基準を廃し、軍縮を実現せよ。手遅れになる前に。
だが儀式だけでは足りない。行動こそが必要である。日本は、世界に向けたその発信力を生かし、大量破壊兵器の全面廃絶を訴える新たな国際的取り組みを主導すべきだ。化学兵器の被害を受け、かつNPTの創設署名国であるイランも、この大義において重要な声を持つ。両国が共に立ち上がることで、世界に思い起こさせることができるだろう。正義とは復讐(ふくしゅう)ではなく、予防であるということを。
広島、長崎、そしてサルダシュトの物語が世界の良心を呼び覚まさんことを。それらが、人類はすでに十分に苦しんだという証しとなり、平和を選ぶよう我々を駆り立てんことを。
それは死者への、そして生者への義務である。だが何よりも、これから生まれくる世代への責務である。(寄稿)
◇セイエド・アッバス・アラグチ氏
英ケント大大学院で政治学博士号取得。イラン外務省事務次官、駐日イラン大使などを歴任。2024年から外相。62歳。
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