チンパンジーのアイ 「決して天才ではなかった」研究者の意外な言葉
「天才チンパンジー」として知られた、京都大ヒト行動進化研究センター(旧霊長類研究所)=愛知県犬山市=の雌の「アイ」。間もなく死から2カ月となるが、アイの人気は根強く、センターには今もファンから多くのメッセージが寄せられているという。ただ、よく知る研究者は「決して天才ではなかったですよ」と意外な言葉を口にする。
◇晩年の楽しみは…
アイは1976年にアフリカで生まれ、翌年11月に霊長研にやって来た。当時人気だった劇画「愛と誠」のヒロインにちなみ名付けられたという。
数字や漢字を覚え、リズムに合わせてピアノの鍵盤をたたいたり、パソコンの課題もこなしたりする天才ぶりを発揮。85年には英科学誌ネイチャーに論文が掲載され、89年には近くにあった鍵を使ってオリから脱走して話題になるなど、その名は世界中に広がった。一連の研究は「アイ・プロジェクト」と呼ばれ、霊長類の知能や心の発達研究で中心的役割を担ってきた。
そんなアイの天才ぶりについて、研究者からは思わぬ反応が返ってきた。
「アイが天才だとは思いません。適切な手続きを取れば、他のチンパンジーも同じ能力を示しますから」
そう語るのは、2008年からアイを近くで見てきた同センターの足立幾磨准教授(比較認知科学)だ。
チンパンジーを使った霊長類研究は、アイ以外にも複数の個体を用いて行われてきた。実は、他の個体でもアイと同じような能力は確認されたという。
ではなぜ、アイがここまで注目されたのか。
足立准教授によると、アイは用意された課題にいつも真っ先に興味を示し、率先して課題に参加していた。結果が出るのが早く、他のチンパンジーに分かりやすい訓練方法を作ることもできたという。
通常は群れから離れるのを嫌がったり、新しいものは怖がったりするが、「アイは頭を使うことが大好きで、好奇心が勝っていました」。課題をこなした時にもらえるおやつ目当てのチンパンジーが多い中、アイはおやつなしでも課題に取り組んでいたという。
00年には息子のアユム(26)を出産し、片時も離さず子育てする様子や、アユムを抱いたままコンピューターの画面を操作する姿は反響を呼んだ。
ただ、以前から腎臓に持病を抱え、昨年末から食欲が減退。今年1月9日、スタッフに見守られ49歳で息を引き取った。死因は高齢と多臓器不全だった。
前日まで自ら実験に参加していたといい、晩年は課題そのものより、研究者らとのやりとりを楽しみにしていたようだ。
アイの死後、アユムは不安定になり、他の個体と離れたがらなくなった。けんかの際には今でも、アイを呼ぶように叫び声を上げるという。
◇「人とチンパンジー、つないでくれる存在」
センターには交流サイト(SNS)や電話などを通じ、ファンから感謝の言葉や「お別れ会を開いて」などの声が数多く寄せられている。
センターは2月、こうした声に応えるかたちで追悼サイトを開設。足立准教授は「順次更新していくので、定期的にアイを思い出してほしい」と話す。
センターの一室には、アイの祭壇も設置した。好きだったジュースや食べ物、アイの死を伝える国際霊長類学会の記事などが供えられている。
現在、アユムを含む計10頭のチンパンジーを飼育するが、7頭が40歳以上の高齢個体で、最高齢は59歳だ。19年に発覚した研究費不正問題や、飼育費がかかることなどから今後は繁殖しない方針で、霊長類研究者の数も減少している。
それでも足立准教授は「霊長類研究の価値が落ちたわけではありません。これからもできることはあります」と強調し、海外との共同研究などを続けている。
約半世紀にわたりアイが参加、関与した実験論文は数百本に上る。言語や知覚、記憶、注意力、社会性などの研究に大きく貢献し、今後も、最後の実験などを含め複数の論文発表が予定されている。
「研究を黎明(れいめい)期から支え、人とチンパンジーをつないでくれる存在でした。『ありがとう』と言いたいです」
足立准教授は、好奇心旺盛で勤勉だった“研究仲間”の功績をたたえた。【川瀬慎一朗】
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