韓国・済州島で旧日本軍を武装解除の映像 戦後80年経て初確認

2025/11/30 14:00 

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 韓国の南西部に位置する済州島(チェジュド)は、温暖な気候と黒豚や海産物などのグルメで知られ、日本人にも人気の観光地だ。だが今から80年前、旧日本軍が「本土決戦」の拠点の一つに位置づけた「要塞(ようさい)の島」だったことを知る人は少ない。今も済州島には全長1キロを超えるものを含む多数の地下壕(ごう)や、軍用機を敵から隠すための格納庫「掩体(えんたい)壕」など、旧日本軍が構築した戦跡が残っている。

 ここで米軍が1945年10月に旧日本軍を武装解除する様子を撮影した映像が、80年を経て初めて確認された。韓国・聖公会大(ソウル市)の田甲生(チョン・カプセン)教授(54)が米国立公文書館で発見し、今年10月16日に済州島で専門家らが出席して開かれた勉強会で公表した。

 映像は冒頭、「JAP EQUIP SIASHU―TO ISLAND」(ジャップの装備 済州島)と日本の蔑称を交えたタイトルで始まる。巨大な地下壕から軍服姿の米兵らが次々と出てきた後、爆発が起きて煙が舞い上がり、壕の入り口が崩れる様子が映されていた。日の丸のマークがついた軍用機が炎上する場面も含まれている。映像は45年10月1~6日に米軍が撮影した。

 長年にわたり済州島の戦跡を調査してきた済州大の趙誠倫(チョ・ソンユン)名誉教授(71)は「写真は複数残されているが、映像の確認は初めて」と驚く。旧日本軍の戦跡に詳しい四川外国語大(中国)の菊池実・元教授は「当時の様子が詳細に分かる貴重な史料だ」と指摘する。

 済州島に戦跡が多いのは、「本土決戦」の最前線と位置づけられたからだ。

 太平洋戦争の末期、敗色濃厚となった大本営は「本土決戦」の方針を決めた。長野県には大本営や政府機関、昭和天皇の御座所などを移転するための「松代大本営」を建設。さらに関東、九州など7カ所の米軍上陸予測地点に基づき、本土決戦の作戦を立案した。

 植民地で唯一、その舞台となったのが済州島だった。戦争末期、島には約7万5000人もの兵が集結した。

 防衛省防衛研究所戦史研究センター史料室が所蔵する45年8月時点の「済州島兵力基礎配置要図」では、最後の防御陣地が韓国最高峰・漢拏(ハルラ)山(標高1950メートル)の近くの山岳地帯に設けられていた。旧日本軍が徹底抗戦を準備していたことが分かる。【済州島で福岡静哉】

毎日新聞

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