台湾人形劇「ポテヒ」、大阪で公演 庶民文化を進化させる兄弟の挑戦

2025/09/13 15:31 

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 台湾の伝統的人形劇・布袋戯(ポテヒ)が8月の3日間、大阪市中央公会堂東広場(大阪市北区)で上演された。

 プロジェクションマッピングなどの最新の演出技術を駆使した「新しい布袋戯」。上演したのは「新勝景掌中劇団」(Shinergy Puppet Show)。野外劇は雨に降られた日もあったが、観客の反応は上々でSNS(交流サイト)での好意的な感想も目立った。

 台湾文化部(文化省)が万博開催中の大阪市内の各会場で開催した文化の祭典「We TAIWAN」(8月2~20日)のプログラムに組み込まれた。台中の伝統芸能団体「九天民俗技芸団」も加わり、劇に合わせて太鼓の生演奏を披露した。

 ◇布袋戯を継承する決意、新たに

 演目の「デーモンハンター伝説・白光剣の再現」は、白光剣を巡り英雄たちがデーモンに挑む武俠(ぶきょう)劇だ。ストーリーは分かりやすい勧善懲悪であるものの、大きさも精巧さも遣い方も違うさまざまなタイプの人形が登場、これまでの布袋戯の歩みを振り返る要素が盛り込まれている。古典的な布袋戯のキャラクターを採用し、歴史を踏まえ、未来に向けて一歩を踏み出す布袋戯を印象付けている。

 「新勝景掌中劇団」は1996年、台中・豊原で設立された。初代団長・朱清貴さんの死去(2015年)に伴い、長男の朱勝珏さん(39)が団長を引き継いだ。

 伝統的な人形劇の市場が縮小するなか、劇団を離れアニメ業界で働いていた次男の朱祥溥さん(37)が劇団に復帰。副団長として演出や脚本を担当し、音響や映像技術などの最新テクノロジーを取り入れた。18年に初めて「プロジェクションマッピングの布袋戯」を発表し好評を得た。

 団長の長男、勝珏さんは「父の死後、一時は解散も考えました。でも父が築いた劇団を絶やすわけにはいかないという思いから、弟と力を合わせ、テクノロジーを取り入れた新しい形の台湾の布袋戯を継承しようと決意しました」と振り返った。弟の祥溥さんは「デジタルを取り入れることにより、より多くの変化を出すことができます。観客が物語に自然と没入できることが、私の目指す効果であり、テクノロジーの本質です。若い世代に見てもらいたい」と述べた。

 雪や雨、桜吹雪、うごめく巨大な竜――。プロジェクションマッピングは、めまぐるしく変化しダイナミックかつ細やかな情景を表現する。効果的な照明や音響も取り入れ、布袋戯を現代的に一新した。最新の人形には写実的なアニメーションの世界から飛び出してきたような精巧さがある。

 プロジェクションマッピングは字幕も映し出し、大阪公演では台湾語に日本語と英語の字幕が付いた。ストーリーも追いやすく、日本の人気漫画「ワンピース」のせりふや、フェイスブック、Siriといった現代的なワードも登場した。笑いや拍手が起きる場面もあり、観客が共感し、演じる側との一体感を増していた。

 ◇台湾庶民の芸能「布袋戯」の原点

 布袋戯は18世紀半ば、中国・福建省南部から台湾に伝わった。庶民向けの芸能として発展し、廟(びょう)の境内や街角で台湾語を用いて上演された。しかし、日本の統治下、またその後の国民党の時代には、内容や使用言語、上演場所について制限がかかったという。

 兄弟は次のように説明する。

 「布袋戯は時代の制約を逆手に取りながら、ストーリーを語り、圧力や葛藤を寓意(ぐうい)的に扱って、台湾庶民の芸能としてたくましく生き延びてきました」

 70~80年代はテレビ布袋戯が人気を集め、世代を超えて家庭で視聴された。90年代以降は都市化や娯楽の多様化に伴い、観客は減少したが、同時に若い劇団がメディアミックスやアニメーション、国際共同制作などを利用して「当代の表現力のある芸術」として、再構築しようと努力しているという。

 「言語の多様性への対応、劇場や映像メディアへの展開など、その歩みは進化の連続でした。布袋戯こそが台湾の精神を最も象徴する文化形式だと考えています。想像力、勇気、困難に屈しない粘り強さ、それが全て詰まった芸術です」

 7月下旬、台中市の神岡武安宮の境内で、同じ「新勝景掌中劇団」による古典的な布袋戯を見る機会があった。定番の劇だという。観客はおらず、書き割りの舞台で、ひたすら廟に向けて演じる。神様への「奉納」の役割を強く感じた人形劇だった。

 進行中、炎や火花が起こり爆竹が鳴らされる派手な演出もあったが、華やかな音響や映像効果はない。関わる人数も少なく、大阪で見た「デーモンハンター」との対比が鮮やかで、逆に布袋戯の原点を見た思いがした。

 ◇朱兄弟の挑戦は続く

 雨に降られた2日目の「デーモンハンター」終演直後、団長と副団長、人形遣いにインタビューする機会があった。

 「日本の観客は情熱的でびっくりしました。昨日も5人、北海道から来たお客さんがいて、午後から舞台の前に並んでくれていました。日本のファンのみなさんと、もっと交流したい」と副団長の祥溥さんは興奮気味に話した。団長の勝珏さんは「改めてたくさんの観客の前でパフォーマンスをして、本当に感動した」と充実した表情を浮かべた。

 インタビューに応じた人形遣いの王英峻さん(47)と楊志豪さん(45)も「今の台湾だと雨ならこんなにお客さんはいないと思う。ただ、台湾でも60~80年代は雨が降ってもお客さんはいた。そのころを思い出しました」「日本で上演ツアーをしてみたい」と手応えは上々。

 人形遣いにとって、時を経て大きく重くなる人形を操るのは体力的にも厳しい。複雑な演出に合わせて人形を操るのも難しいという。だが「台湾の伝統と新しいものの融合を日本の方に見せたい」という気持ちのほうが強かったと話した。

 「デーモンハンター」では、朱兄弟の父親が団長として存命だったころの古い劇中の映像も挿入される。クライマックスでは登場人物の一人が<芝居人は団結せねばならない。それが布袋戯の進む道>と話す。

 脚本を担当した祥溥さんはこう説明する。

 「実はこの脚本は布袋戯業界のみなさん、先人へのラブレターのつもりで書きました。新型コロナウイルスの時も私たちはいろんな劇団に助けてもらいました。その感謝の気持ちも込めています」

 兄の勝珏さんは寡黙で力仕事が得意なタイプ。一方、祥溥さんは体より頭を使って仕事をする方が向いているという。仕事の役割も、伝統的な部分と革新的な部分を分担することで、兄弟の得意分野が融合されている。

 弟はすでにいくつかの新しいアイデアを温めていると明かした。兄弟の挑戦と布袋戯の進化はこれからも続く。【棚部秀行】

毎日新聞

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