列車事故で亡くなった東福岡のラグビー部員へ 17年越しの卒業証書

2025/12/11 21:36 

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 2007年12月に北九州市内で列車にはねられ、18歳で亡くなった東福岡高校ラグビー部の広木淳さんに卒業証書が授与されることになり、福岡市の同校で11日、広木さんの家族や当時の監督、主将らが出席して記念の式典が開かれた。

 広木さんは07年12月14日、学校での練習を終えて北九州市内の自宅へ帰宅途中、同市内の踏切で列車にはねられた。

 身長170センチ、体重60キロの細身ながらハードタックラーとして頭角を現し、FWの中心的選手で高校日本代表候補にも選出された将来有望な選手だった。

 この時、全国高校ラグビー大会出場を控えていたチームは悲嘆に暮れたが、より一層、結束力を高めて大会に臨んだ。決勝まで勝ち上がり、最後は伏見工高(現京都工学院高)を12―7で破って初優勝。天国の広木さんに栄冠を届けた。

 広木さんは08年3月に卒業するはずだったが、亡くなったことで卒業という形を取ることができなかったという。そのためラグビー部やOBなどが、広木さんに卒業証書を贈りたいという要望を長年、学校側に伝えてきた。ラグビー部が今年、創部70周年を迎えたのに合わせて贈呈されることになった。

 式典では、同校の徳野慎一郎校長から、広木さんの母ますみさん(64)へ特別卒業証書が手渡された。

 グラウンドでは、広木さんの当時のポジションの背番号「6」のジャージーを着た部員ら約160人の現役部員が拍手でますみさんを出迎え、須藤蔣一主将(3年)からますみさんに花束が渡された。

 当時の監督で新潟食料農業大ラグビー部監督の谷崎重幸さん(67)や、幼なじみで当時主将だった早稲田佐賀高ラグビー部監督の山下昂大さん(35)らも駆けつけ、17年かかった広木さんの卒業を祝った。

 ますみさんは「私の中では子供のままですが、今日の日が迎えられて本当にありがたいです。(卒業証書を)もらったよ、よかったねと伝えたいです」と感慨深く話した。

 山下さんは「彼のラグビーに対する姿勢は今を頑張る活力になっている。あの時は一緒に卒業できなかったが、今も近くにいるように感じます」と涙を浮かべた。

 当時コーチだった東福岡高の藤田雄一郎監督は「あっちゃん(広木さん)のことを忘れていないという思いが部の中にあって、紙一枚かもしれないが一つ大きな約束が果たせたと思う」と話し、記念撮影の輪に加わった。

 東福岡高は12月27日開幕の第105回全国高校ラグビー大会に出場する。【林大樹】

毎日新聞

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