田中正造、没後112年 法要に110人参列 栃木・佐野の惣宗寺で

2025/09/04 15:54 

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 足尾銅山鉱毒事件の追及と被害民の救済に半生をかけた明治時代の政治家、田中正造(1841~1913年)の112回目の命日の4日、当時本葬が営まれた栃木県佐野市金井上町の春日岡山惣宗寺(佐野厄よけ大師)で法要があった。旭岡靖人住職らによる読経や講話に続き参列者が焼香し、正造の遺徳をしのんだ。

 講話の講師は、正造関連の著作のある同市郷土博物館元館長、茂木克美さん(62)。正造が1877年、惣宗寺に身を寄せながら地方議員として政治活動を始め、同寺を拠点に「安蘇結合会(中節社)」を結成し、国会開設建白書を起案した経緯、当時の住職が旧松木村救済策を巡り正造と対立した正造の娘婿を伴い、死の床にあった正造を見舞ったエピソードなどを紹介。本葬の挙行を含め、同寺と正造のゆかりの深さを強調した。

 法要は、一般財団法人「田中正造記念協会」(理事長=金子裕・佐野市長)が主催し、会員など約110人が参列した。【太田穣】

毎日新聞

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