藤井聡太名人も愛した「将棋倶楽部24」年内終了へ 席主の思いは

2025/10/02 12:03 

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 インターネット最大の将棋対局サイト「将棋倶楽部(くらぶ)24(にじゅうよん)」が1日、年内でサービスを終えることを発表した。

 1998年末から「席主」としてサイトを運営してきた久米宏さんが毎日新聞社の取材に応じた。

 ネット対局の場がスマートフォンに移り利用者が減少したことで「時代の流れを感じた」と、27年間の運営に別れを告げる決断をした経緯を明かした。

 ◇藤井名人らトップ棋士も愛用

 将棋倶楽部24は98年、富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)に勤めていた久米さんが社内ベンチャー企画として提案し、誕生した。インターネット上で将棋の対局ができるサイトはあったが、「対局相手がいないのを何とかしたい」という思いだった。

 実力を数値化し、対戦相手の実力と勝敗によって数値が上下する「レーティング」を用いたのが大きな特徴だ。実力の近い人と対局しやすいことで人気となり、国内最大の対局サイトへと発展していった。

 将棋ファンだけでなく、棋士やプロ養成機関の奨励会に所属する“プロの卵”も訪れては腕試しに励んだ。藤井聡太名人や渡辺明九段、佐藤天彦九段らトッププロも奨励会時代に将棋倶楽部24で腕を磨いたことを明かしている。

 登録会員数は30万人を超え、「自分自身も対局してもちろん楽しかったが、それ以上に皆さんの笑顔が見られるのが一番の原動力だった」と振り返る。

 ◇正体は? 謎のプレーヤーが話題に

 2002年には「dcsyhi(デクシ)」を名乗るプレーヤーが現れ、レーティング上位が2800台という中、当時の歴代記録を更新する3003をたたき出した。

 この頃、羽生善治九段が複数のタイトルを持っていたことから、「羽生九段がネット対局しているのではないか」と大きな注目を集めた。

 99~03年に連載された囲碁漫画「ヒカルの碁」では、江戸時代の本因坊の霊が主人公に打つ手を指示してネット上で対局し、「誰が打っているのか」と国内外の囲碁界の話題を席巻するシーンが登場する。

 囲碁と将棋の違いはあるが、漫画のような出来事が現実に起き、dcsyhiがネット上に現れる時間帯とプロ棋士の公式戦の対局スケジュールを照らし合わせ、一体誰なのかを割り出そうという動きも起きた。

 結局、その正体は分からずじまいだった。

 久米さんは「対局してくださった皆さんが棋士になり活躍するのを見ると、24も多少は役に立ったかと思った。私は場を提供しただけ。結局は集まった皆さんが切磋琢磨(せっさたくま)した努力の結果だ」と、棋士になる手助けができたと喜ぶ。

 ◇スマホに押され

 将棋倶楽部24の発展に伴い、ネット上には対局サイトが数多く生まれた。しかし、最大のネット対局場所という将棋倶楽部24の地位は揺るがなかった。

 06年に事業は日本将棋連盟に譲渡されたが、久米さんが代表を務める会社が委託を受け、久米さんが一人で運営する形を継続した。スマートフォンが普及するにつれてネット対局人口もスマホに移行していった。「パソコンがメインの将棋倶楽部24は利用者が減ってきて時代の流れを感じた」と明かす。

 「属人的なシステムなので人を育てるのが困難だった。私がやめたら管理する人がいない」と感じていた。他に多くの対局サイトが存在していることから、「24が終了しても行き先は多くあり、皆さんも多分それほど困らないだろう」とサービス終了を決断した。

 将棋倶楽部24を大きく上回るネット対局の場に成長したアプリ「将棋ウォーズ」は1日、Xの公式アカウントで「将棋倶楽部24とのアカウント連携機能、24ルールの持ち時間でのオートマッチング対局が出来る環境を提供予定です」と投稿し、「24ロス」に陥るであろうユーザーの救済に乗り出すことを明らかにした。

 インターネットの黎明(れいめい)期から四半世紀以上にわたり、将棋ファンの腕試しの場として親しまれてきた将棋倶楽部24。

 その幕引きは一つの時代の終わりを告げ、ネット対局の舞台はスマホ時代の新たなステージへ移行する。

 サイトは閉鎖しても、対局に燃やした熱意の記憶は多くの棋士や将棋ファンの心に残り続ける。【丸山進】

毎日新聞

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