逮捕は娘への「最後のプレゼント」 フィリピン前大統領描くシナリオ
フィリピンで強硬な薬物犯罪対策を推し進めたドゥテルテ前大統領が、国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状に基づき、人道に対する罪の疑いで逮捕された。逮捕はフィリピン政界にどのような影響を及ぼすのか。東京外国語大大学院総合国際学研究院の日下渉教授に聞いた。
◇政治的不安を高める恐れ
ドゥテルテ前大統領による「麻薬戦争」を巡り、ICCが逮捕に踏み切ったのは、マルコス大統領派とドゥテルテ派の対立が激化する最中だった。
このタイミングは、政治的不安を高める可能性がある。ドゥテルテ派は、ICCの独立した捜査をマルコス派が政争の具に利用したと受け止めているからだ。
もともとマルコス氏と、ドゥテルテ氏の長女サラ副大統領は、2022年の選挙でタッグを組んでそれぞれ当選し、28年の次期大統領選では、サラ氏がマルコス氏の後を継ぐという紳士協定があった。
しかし、これを快く思わないマルコス氏側の取り巻きがドゥテルテ家の排除を始め、両家の関係は悪化した。当初ICCの捜査に協力しないと表明していたマルコス氏が方針転換したのも、その過程で起きた。
ドゥテルテ氏は、かつて長期独裁政権を敷いたマルコス氏の父、故マルコス元大統領の英雄墓地埋葬を許可しており、彼をあしき独裁者ではなく、英雄と認定した。ドゥテルテ派は、マルコス氏がこうした恩義を裏切って、彼をICCに売り渡したと受け止めている。
◇割れるドゥテルテ氏の評価
対立は世論にも表れている。そもそも、国内でのドゥテルテ氏の評価は大きく分かれる。麻薬戦争についても、リベラル派から「大量殺りく者」と非難される一方、麻薬や犯罪のまんえんに苦しむ庶民には「救世主」と映った。強硬手段を取りながらも法制度を機能させ、秩序の確立を目指したドゥテルテ氏に希望を抱いた人も一定数いた。
今回の逮捕を巡り、反ドゥテルテ派は正義を奪回したと歓喜に沸いている。他方、ドゥテルテ派の間では、ドゥテルテ氏は人々を救おうとしたが、犯罪者として汚名を着せられ、辱めの中で死を受け入れる殉教者、すなわち英雄であるとの解釈とプロパガンダが広まりつつある。
このままでは、5月の中間選挙でドゥテルテ陣営が同情票を集めるだろう。
サラ氏に対しては、機密費の不正使用疑惑などから7月に上院で弾劾裁判が行われる予定だが、支持が増えることでこれが頓挫する可能性も高まる。また、サラ氏が弾劾され、次期大統領選挙に出馬できなくなっても、ドゥテルテ家を支持する人々の不満と怒りは簡単には収まらないだろう。
おそらく、ドゥテルテ氏はこのようなシナリオをもくろんでICCの逮捕を受け入れ、娘であるサラ氏に「最後のプレゼント」を贈ったのではないか。
◇共鳴する人々が抱く鬱屈
フィリピンでは、一部のエリートが民主主義の法制度を通じて、自らの利権と権力を強化してきた。そのため、エリート支配に反発する人々の間では、この国を変革するには、法の支配を超えたアウトローが必要だとの考えも根強い。
ドゥテルテ氏の支持者もそうだ。経済成長の中で、日々の生活に困窮する貧困層は減ったが、多くはまだ安定した中間層に届いていない。彼らは、日々勤労するも、社会階層の上昇を社会的な不平等の構造によって拒まれている。他方で、身近な麻薬使用者や無職者によって足を引っ張られているとの被害者意識も募らせている。こうした人たちがドゥテルテ氏に共鳴している。
ドゥテルテ氏の逮捕によって、民主主義や人権が安定的に回復するとは限らない。対立が深まり社会が分断されれば、双方の不満がいつか爆発し、大きな混乱を引き起こす可能性がある。それを防ぐには、政治的な派閥対立を超えた大義を生み出し、育てていく必要がある。
たとえば、ドゥテルテ派は今、前大統領を救うため「人権」や「適正な法手続き」を訴えている。超法規的な処刑を行った人権侵害者に、これらを求める矛盾を批判するのは容易だ。だが、むしろ、こうした理念を共通の大義にしていければ、政治リーダーをめぐる社会の分断を曖昧化していけるかもしれない。
そうすれば、派閥抗争を超えて、人権を守る法制度を強化し、人権侵害の被害者らに正義を回復していく道も開けるかもしれない。【聞き手・石山絵歩】
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