Honda鈴鹿、寺瀬 けが乗り越えた「完全試合」左腕 都市対抗

2025/08/31 09:00 

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 投げるのはおろか、歩くのさえ不安だった。失意の日々を乗り越え、東京ドームにたどり着いた。

 第96回都市対抗野球大会に3年ぶりに出場したHonda鈴鹿(鈴鹿市)のルーキー左腕・寺瀬太紀投手(22)は、新たな一歩を踏み出した。

 ◇失意のどん底にいた大学時代

 高校、大学と全国大会には無縁だったが、5月のJABAベーブルース杯で一躍脚光を浴びた。

 予選リーグのニチダイ戦に先発すると、8―0で七回コールド勝ち。

 一人の出塁も許さず、参考記録ながら「完全試合」を達成した。「自分でもびっくりだった」と今も驚きを隠せない。

 石川県能美市出身。野球は小学4年から続けるが、決して順風満帆ではなかった。

 小松商高から進学した中部大で3年春に腰のヘルニアを発症。日に日に症状は悪化し、歩くことすら困難に。

 秋には手術を受けることになり、「もう終わった。やめようかな」。失意のどん底にいた。

 ◇叔父からの動画、映っていたのは

 ふさぎ込みがちだった中、叔父から1本の動画が送られてきた。

 高校最後の大会となった3年夏の石川大会2回戦で、星稜と対戦した時の映像だった。

 試合には敗れたが、叔父から「強敵にも立ち向かっていけるのだから大丈夫」とメッセージが添えられ、励まされた。

 大学の監督やコーチ、チームメートからも頻繁に連絡が届いた。

 「もう一度、みんなと野球がやりたい」

 気持ちは前向きになり、復帰を目指し、手術後は歩く練習からリハビリを始めた。

 ◇大学最終戦直後、予想外の誘いが

 治療が実り冬にグラウンドに戻ると、4年生時には実戦復帰もした。

 愛知大学野球の春季リーグで登板を重ね、秋季リーグでは防御率1点台という好成績を収めた。

 11月に最終戦を終えると、「その2分後」(寺瀬投手)、すぐにHonda鈴鹿から入社の誘いが届いた。

 卒業後は「野球ができるならどこでもいい」と軟式で続けるつもりで、すでに一般企業に就職が決まっていた。

 予想外の誘いに「ちゃんと評価してもらえた」とうれしさが込み上げ、入社を決意した。

 チームでは長壱成捕手(29)から「お前の真っすぐ、絶対勝負できる」と言われ、自信につながった。

 参考記録とはいえ「完全試合」を達成するほどの成長に、真鍋健太郎監督(45)は「真面目でコツコツとトレーニングができる。躍進は今までのトレーニングが実を結んだ結果」と評価する。

 約2年前はベッドで野球をやめることすら考えていた。

 周囲の励ましを力に「今まで支えてくれた人たちに、『頑張れ』ではなく『おめでとう』と言ってもらえるように頑張りたい」。大会での活躍を誓う。【長谷山寧音】

毎日新聞

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