105歳の被爆者が語る 「戦争を繰り返さないために」の答え

2025/08/31 10:30 

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 終戦から80年。遠からず戦争体験者に話を聞けなくなる時代が来ようとする中、現在105歳で神戸市の介護施設に暮らす品川キヨさんが、毎日新聞の取材に応じた。広島原爆の入市被爆者で、戦中戦後に教師として子供と向き合ってきた。「戦争を繰り返さないためにはどうすればいいか」。記者の問いかけに対する品川さんの答えは――。

 1920年(大正9年)生まれで、プロ野球元巨人軍監督の川上哲治さん、俳優の森光子さんが同い年。第一次世界大戦後の最初の国際機構、国際連盟が設立され、箱根駅伝が始まった年でもある。

 瀬戸内海に浮かぶ大崎上島(広島県大崎上島町)で、6人きょうだいの末っ子として育った。小学校時代を島で過ごした後、一家で広島市内に移り、山中高等女学校に入学。広島女子専門学校に進み、卒業後は中学校の家庭科の教師になった。

 45年8月6日は、25歳で広島県呉市の学校に勤めていた。原爆投下の数日後、広島市千田町(現・同市中区)で暮らす年の離れた姉を捜しに行った。品川さんの親族によると、品川さんは姉と会うことができなかった。

 「被爆直後のことは覚えていますか?」。記者が尋ねると「覚えてるよ」と即答した。続けて街がどんな光景だったのか聞くと、しばらく考え込んだ後に「夢のようやね」とだけつぶやいた。

 戦後はきょうだいがいた神戸市に移り、定年まで教壇に立った。「家庭科は一人で縫うのもミシンを使うのも何でもするよ。生徒の方がしっかりしよった。私は教科書の説明だけ」。かつての教え子を思うと、生徒や同僚に愛された「キヨ先生」の笑みがこぼれた。

 世界では今も戦争や紛争が絶えることがない。記者が話を向けると「その時代に生まれたら、生きなしょうがないわ。けんかは起こる時は起こる。社会には『ふわり、ふわり』とついて行くしかしょうがない」と言った。

 その直後。「ただし」と語気を少し強めて続けた。「自分は持っとかんとね。大切なことは、社会(の動き)について行っていい時と『ここはやめとこう』と思うところがある。ついて行くしかなくても、その代わりに(社会の動きを)見とかないと。自分は自分だからね」

 記者(30)に対しても「今年30歳やったら今からや。自分に与えられた運命を一生懸命に生きなさい」。そうきっぱり言い、品川さんは記者を見送った。【竹林静】

毎日新聞

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